あけましておめでとうございます。
昨年も大変お世話になりました。元々のご縁に加えて新たなご縁もたくさんあり、良い方に恵まれありがたいことです。
最近は便利なことに、いろんなSNSで日々のことをお知らせすることができ、こちらのブログは滞っておりました。(以前に入力の仕様が変わって更新が少し面倒に感じることもあり笑)
しかしながら、このように少し長めの文章を綴って読んでいただけるのはブログの良いところであり、文字制限がないから、自分の普段通りの言葉で自由に書けるところは他のSNSにはない利点かなと思います。
更新が滞っているにも関わらずいろんな方から「ブログがおもしろいからもっと書いたらいいのに」「楽しみにしてる」とお声をいただき、自分が思うことを思うままに書いているだけなのに、嬉しいです。
確かに、他SNSですと、常にどなたかの目に晒され続けるというか、そのために誰かを傷つけたりしないよう、どなたにも不快な思いをされないよう表現を控えたり、思っていることをあんまりタラタラ長く書くと「なんだかめんどくさそうなやつだなって思われたらどうしよう」なんて変に萎縮したり笑
それで当たり障りのないことを書くにとどまる気がするのですが、ここはある意味私のホームでもあり、だから好きなことを書くし、それを不快に感じる方はどうぞスルーなさってください、というちょっとおおらかな気持ちになるかもしれません。
というわけで、ひさしぶりにスマホを手放し、片隅に追いやられていたノートの電源を入れ(デスクトップだとこれまた仕事モードになるのでちょっと違う)、書いている次第です。
久しぶりということもあり、前置きだけでこんなに無駄に長く書くことを楽しんでいます。
今日は私がふだん、思っていながらあまり言わないことを書いてみようと思う。
「表現力」という言葉があります。昔の私は「表現する=なにかをする、しなければならない」と思っていました。悲しい感情を表現するのに、悲しい感情を引っ張り出す、楽しいを表現するために、楽しい気持ちになる。それが表現することであると。だからできるだけ表現の幅を広く持つため、たくさんの経験をし、その経験を頭の中の「表現の引き出し」に保管し、必要な時、ピタッとくる表現を取り出して使うようなイメージです。
けれど、最近あまりそんなことを思わなくなっていることに気づきました。厳密に言えばその手段も使っているかもしれないのですが、まずは、楽譜を読み取り(実はこの部分も最近変化していますが、今はこの記事のためにこの表現を使います)、作曲者の書いたことを演奏するだけで、すでにその人の人生が反映され、その人固有の音で表現されているのではないかと、思うようになりました。
それで生徒さん方にも、表現の元となるものを一緒に考え、ある程度のイメージづくりはするけれど「何かを表現してもらう」というよりは、「その人の持つものを引き出す」というアプローチをしています。
幸い、それが功を奏しているのか発表会では「みんな違う演奏で面白い」とご感想をいただきます。立派な先生の門下生発表会などでは「○○先生の弾き方にみんなよく似ている」ということもよくあります。素晴らしい先生が在り、それに生徒さんが似てくるというのはご指導の賜物であり凄いことだと思うのですが、私としては自分の生徒さんを自分のコピーにしたいわけではないので(こんな変な先生に似ても困るかもだし笑)生徒さんによって全然違うカラーの演奏だと言われるのは嬉しいです。
人は生きているだけですでにオリジナルであり、全く同じ人生の人はいません。その人がどこで、誰のもとに生まれ、その人の人生を生きながらいろんな経験をし、感情の変化が起こり、経験値からその人なりの対応や解決策をとったり、分岐に来た時はどの道を選択するか、その人がその瞬間に決めることで、生きることがすでにその人の芸術なのではないかな、と思います。
芸術というと何か高尚なイメージを持たれるかもしれませんが、人が自分の人生を良くしたい(と思っている人が大半だと思いますが)ともがくことがすでに芸術的だなぁと思えるのです。
ですから、「私には表現力がない」「どうやって表現したら良いかわからない」と思う場合は、実はそんなことはなく、ただあなたが存在し、楽器にしろ、スポーツにしろ、何かしらのパフォーマンスをすることがすでにあなたの個性であり、素晴らしいことである、ということを少し思い出して欲しいなと思います。
最近espressivo(エスプレッシーヴォ)という音楽用語が出て来た時、実はすこし困っています笑
表現豊かにという意味ですが、さて、あるがままですでに表現されているはずなのに、さらに表現豊かにってどうしたら伝わるのかな、と思うのです笑
自分が演奏するときでもこんな感じなので、生徒さんにそれを腑に落ちるよう説明するのは少々勇気が要ります。私は正しいことをお伝えできているのだろうかと思います。
ただ、表現豊かに、というのは「わかりやすい感情表現」が全てでないとも思いますから、例えば、大切な方がなくなったとして(お正月から不謹慎なことをすみません)そんな時に、大声をあげ泣き叫ぶことだけが悼む気持ちのはずがないのです。静かに大切な人との思い出を振り返り、交わした言葉、印象的な出来事に想いを馳せる、そんな感情も、十分にespressivoかな、と思います。
そうなると、表現には「楽しい」という言葉一つとっても、その先にはたくさんのシーンで感じる「楽しい」があり、その種類が多いほどに多彩な演奏になるんじゃないかな〜と、あらためて思いました。それは特別な経験が必要なわけではなく、日常の自分の感情に敏感になり、些細な変化を拾う作業で十分ではないかなと思います。
久しぶりにゆったりした気持ちで書いてみました。
また気が向いたらつらつらと書きたいと思います。
今年も皆様にとってたくさん良いことがありますように。