母上が最近言っておりましたが、人生には「まさか」という坂があるそうです。
このログを書くに当たって事前に「まさか」「坂」という検索ワードでgoogle先生に聞いてみたところ、
この言葉、最近はやってるんでしょうか、たくさんヒットしました 笑
「まさか私がピアニストと呼ばれるようになるなんて」とつぶやいたところ上記の言葉が返ってきた訳ですが、
私は幼稚園から中学校までずっと、学校の文集では「ピアノの先生になりたい」と書いていました。
大学を卒業してからも細々とでも演奏活動していたのに、もう向いてない!と途中ピアノを辞めようと決断したこともあるのですが、
大きな波に巻き込まれ、もがいているうちに、なぜかピアノを再開する方向へ流されてしまいました。
ざっくり言うと「音楽が好き」→(中略)→「気づいたらピアニストになっていた」と言う感じです。
中略の部分は多岐に渡るので、個別に聞いてください 笑
そんな私が、よし、演奏でやってくぞと本気で腹をくくったのは実はほんの数年前。
今でも自分では演奏家を名乗るにはまだまだと思っていますが。。
(“ピアニスト”にはいろんな定義があると思いますが、私がはっきりしないと他の方が呼ぶ時やご紹介を受ける時などに困らせることになるので ^^;)
最近この「まさか私が」とつらつら考えるようになってよく思い出す記憶があるのですが、
小さい頃に神様に「一流のぴあにすとになれますように」とお願いしたことがあります。
その時確か小学生で、うっすら覚えているのは旅行先のホテルの庭園内?にある小さなほこらのようなところだった気がするのですが、
一緒にいた、これまた多分叔母に「ここは音楽や芸術の神様だよ、なにかお願いしたら?」と軽い感じで言われて、
ちょうどその頃シ◯パンコンクールで日本人の某ピアニストさんが入賞したばかりでカッコ良くて、あんな風になりたいな、と思ったのです。
親が音楽家にしようと熱心に英才教育を受けさせていた訳でもないですし、一流ってなんなのか、ピアニストってどんな仕事で、どんな生活をしているのか知る由もなかったのですが(笑)子どものお願いをちゃんと神様が覚えていて、ナントカ近い方へ導いてくださってるんでしょうかね。
ふとそれを思い出してからは、これはもう、どうあっても音楽へ押し戻されるのかもしれない、と腹を据えてがんばることにしました^^;
現在は、「一流(になれたらいいな)ピアニスト(としてまだまだだけど)」と言うところでしょうか 笑
話が脱線しましたが、僭越ながら若い方へ言いたいのは(私も人生折り返したばかりのヒヨッコだけど)、人はたくさんの可能性を持っていて、強く願えば、思考がそのように働き、叶えるために動き始めるということ。人によってスピードは違うけれど、遅かったり、遠回りしても、根気よく続ければ、僅かずつでも押し広がっていく、と言うこと。広がり始めれば、そちらの方へ人脈がつながり、広がったご縁によってもっとステップアップすることも可能だということです。
もし小さくても自分の中でキラッと光るものを感じたらぜひそちらの方へ動いてほしいですし、どんなことでも、できるだけ素直な心で一旦は受け入れてほしいですし、ネガティヴな事が起こっても、どん底を経験しても、月並みですが人生に無駄な事は何ひとつないということを思い出してほしいです。
こういった事をスマートにできる人は少ないですが、かっこ悪い自分をさらけ出したら、怖いものは少なくなります 笑
なぜこんなことを急に書いたのかというと、自分を振り返ってみて、不器用にもがき続けた結果、曲がりなりにも好きな事を仕事にできていて、いまけっこう幸せだからです。
そして今日、そんな私を見ているから、がんばれるんだ、という言葉を頂いたからでした^^
駄文をお読みくださり有難うございました。