未分類

311

もう丸4年になりますか。

そして私がベルリンから帰ってきて4年になります。
ここ数年の月日が濃厚過ぎて、もっと経っているかと思っていました。
私の中で勝手に2、3年は余分にカウントしていました。。

あのとき私はベルリンにいて、なにで見たのか、インターネットだったか、
とにかく地獄のような光景を目にして呆然とした覚えがあります。
場所は違えど大きな地震ということで、家族を案じて連絡しましたが、
あの混乱で一時的に連絡が取りづらくなっていて、しばらく心配な時が続いたと思います。

ベルリンにはたくさん日本人がいて、親日的なドイツ人もたくさんいたので、すぐにFBで翌日のチャリティイベントへ参加の呼びかけが始まり(早!)私も、とりあえず自分に真っ先にできることのひとつかも、との思いから参加しました。参加条件は白い服を着てきて、だったか、それで集まった皆で日の丸を作りましたね。それをテレビ局が取材に来ていたのですが、私はユニバーサルな規模で声を掛けやすいタイプらしく、リポーターにつかまって困った記憶があります^^;

↓こちらはまた違うチャリティイベントの時の模様
199768_10150155086843954_1140801_n

この時は、この日の丸バッグを作り、道行く人に売りました^^

そんな余談はさておき、当初は被災された方のことを思うと本当に辛く、なにをすることもできない自分とはなんて小さいんだろうと凹んだりしましたが、とにかく今後、できるだけ自主コンサートに絡め、復興に協力していこう、それでみなさんが忘れないようにしようと、強く思ったのを覚えています。
あれから4年経ち、その間に様々な意見が世に流れ、そうしたものを聞くうちに少し、自分の中に迷いが生じてきているのが現状。
現地では放射能レベルは国が定めた基準値以下だと言われており、一刻も早くもとのように暮らせるようにと、動いている一方、それを否定する意見も出ており、実際のところ放射能の状況はどうなのか、被災地が復興するために動くのが果たして正しいのか、と考えさせられるような意見も出ています。信念を持って動かれている方はごく一部であり、恐らくは迷いが生じている方も多くいるのではないかと思っています。

今は・・被災地にとって、日本にとって、世界にとって本当に正しい選択はなんなのか、を見極め、一刻も早く正しい方向へ動いていくことを願っています。正直、どの方向へ動こうと、誰もが納得する道は無いと思いますが、地球に住んでいる人としての正しい道を見つけられれば、みんながこれで良かったと思える未来に一歩近づくのではと思ってます。

デリケートな問題なので、曖昧な表現だらけになってしまいました。。

一日も早く、みんなの心がひとつにまとまって、最善の対策へ協力し合える時が来ますように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です